潮止村
潮止村〔しおどめむら〕は、明治22年(1889年)から昭和31年(1956年)の埼玉県南埼玉郡の村名。八潮村(現八潮市)の前身である三村の一つ。
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八潮市沿革図(近世以降)(PDF)
昭和39年(1964年) 潮止支所(元潮止村役場、大字南川崎)
目次 |
潮止村の成立と村名の由来
明治22年(1889年)4月1日、二町目村・木曽根村・南川崎村・伊勢野村・大瀬村・古新田・垳村(伊勢野村連合7か村)が合併して、埼玉県南埼玉郡「潮止村」が成立した。面積は533町余。明治21年(1888年)の人口・戸数は2,675人・402戸。
★詳細は「三村の成立(明治の大合併)」参照
村名は、当初は「川沿村(川添村)」とする案があった。潮止村の新村名選定の理由に関する県の文書(『八潮市史 史料編 近代1』史料100)の原文には、古利根川(現中川)沿岸の村々が合併することにちなんで、「川沿村」と称するとある。訂正の貼紙があり、「潮止村」と称するのは、合併各村の協議によると記載されている。
大正14年(1925年)『潮止月報』第39号掲載「潮止村誌稿」(『八潮市史 史料編別巻』113ページ)の「村名」によると、潮止村の名称は、地理により制定されたものであり、中川の潮の往来が当地で止まることにちなむ。村名を協議した際には、古利根川沿いの村であることから「川添村」とする案があったが、合併する村の中に南川崎村があることから、「川」の字を用いることには反対意見が出されたという。また、「しお」の字については、「潮」とするか「汐」とするかで議論があったという。
- ※「古利根川は村界なる東京府下より称して中川と呼び」(「潮止村誌稿」)
八潮村の成立
昭和31年(1956年)9月28日、潮止村と八條村(大字立野堀を除く)・八幡村の三村が合併して、「八潮村」が誕生した。合併時の潮止村の面積・人口・戸数は、7.08平方キロメートル・4,561人・699戸(『八潮市史 史料編 現代1』史料221)。
★詳細は「八潮村の成立(三村合併)」参照
八潮村の成立と境界変更(八潮市域確定)の図
参考文献・ウェブサイト
八潮市立資料館の刊行物など
- 展示パンフレットなど
- 『第18回企画展 記録~二十世紀の証言~』(2000年)
- 『第22回企画展図録 八潮が生まれた日』(2009年)
- 『第36回企画展 八潮の歩き方~移りゆく景観、変わりゆく八潮~』(2016年)
- 『第41回企画展 明治150年記念展示2 近代日本の成立と八潮』(2019年)
- 『第54回企画展 昭和時代の八潮』(2026年)
- 『第10回収蔵品展 公文書でつづる八潮の歴史 展示案内』(2002年)
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 通史編2』(1989年)
- 『八潮市史 史料編 近代1』(1980年)
- 『八潮市史 史料編 現代1』(1985年)
- 『八潮市史 史料編別巻 潮止月報・八潮だより』(1979年)
- その他の刊行物
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)4ページ
その他
- 埼玉県地方課編著『埼玉県市町村合併史 下巻』(埼玉県自治研究会、1962年)1013~1022ページ
- 『広報やしお』第226号